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第46
2010年1119日(金) 18:30~20:30

「サフランに魅せられて」


齋藤 洋 氏
(東京大学名誉教授)

今回の演者、齋藤洋さん(東京大学名誉教授)は動物行動学から記憶学習、認知症の研究を経て、生薬の研究を始めた。日本の薬理学者、石館守三氏の「生薬は東洋民族の文化遺産である」という言葉に触発され、最初は朝鮮ニンジン、ニンニク、サフランと研究されたそうだ。サフランは大分県で栽培されており、栽培方法が特殊であることや、過去行われた研究など、何も知らずに取り組むことになり、知見から調べるうちに、すっかり魅せられてしまったのだそうだ。

現在ではパエリアなど、主に料理で使われるサフランは、昔はとても価値が高く、金と同等であったという。クチナシと同じクロシンを含むために、黄金色の染料として、主にエジプトで王族の色として重宝されたことや、香辛料、高価な香水としても使用されたからということが理由であるが、もっとも使用されたのは、医薬品としてであった。エジプトでは抗腫瘍剤、意識明瞭になるといった薬効が記され、インドのマヌ法典には国王が専売特許を持つと記載されていた。中世スイスの高名な医師、パラセルサスが様々な処方に用いたり、アラビアでは催淫剤として使用したり、フランシス・ベーコンも使っていたとか—。他にも二日酔いに効いたり、血行がよくなったり、堕胎作用があるため妊婦は使用できないなど、医薬品として様々な効果があり、重宝されていた。

中国へも輸入されていた。おそらくシルクロードを通って、アラビアから入ってきたのではないかと考えられ、「八児不湯(バルブタン)」というフビライ皇帝の料理にも使われた。しかし、どう間違ったのか、元の時代までチューリップとして存在していたのだそうだ。そのうえ『本草綱目』という薬学書物の記載は、どう考えてもサフランではなく、ベニバナの特徴であった。そういった様々な行き違いと誤解から、次第にサフランは使用されなくなっていったそうだ。

 

日本では江戸時代に林羅山、平賀源内、大槻玄沢らが『本草綱目』の誤りを指摘しており、様々な薬学書物にサフランの記載が見られることから、その頃には輸入されていたと考えられる。栽培種として輸入されたのは、十九世紀に入ってからである。裏作にとてもよいとされ、明治時代に書物まで出されたのだとか。大分県竹田市でサフラン栽培を始めたのは、吉良文平という人物で、持ち帰った球根を土に埋め、残りを納屋に入れておいたら、なんと芽が出て花が咲いた。水なんかいらないじゃないか、と実は栽培法方がとても容易であることが判明し、それから独自の栽培方法でサフランを育て、現在に至っているのだそうだ。

時は流れ、香辛料には安価なクチナシやターメリック、うこんが取って代わり、香水には香りが壊れやすいため他の香りが使われ、染料には合成染料が取って代わって、サフランの活躍の場が減ってきた。医薬品としても中国、日本、インドでしか使用されなくなった。ところが、その後、血管収縮抑制、血中の脂質低下、血中酸素の拡大、動脈硬化を防ぐ効果などあることがわかってきた。他にも抗腫瘍作用、抗高血症作用、抗アルコール作用もあり、記憶学習にも関わっていることが判明した。ヨーロッパでは、その作用について研究が進んでいるそうだ。サフランを摂取することで、記憶を司る脳の海馬が長期増強するという実験結果が示されており、認知症治療にも効果がある可能性が出てきたそうだ。サフランは、まさに万能薬に近いのではないだろうか。

エジプト・ラムセス王の時代から現代まで、様々な分野で効果を発揮し、紆余曲折を経ながらも、今またその成分に注目が集まるサフラン。その魅力を存分に知る齋藤さんは、本当に楽しそうに、どこかうっとりとしながら、時間いっぱいまでサフランについて語った。


サフランを使った斬新なデザート、「サフランヨーグルト」。通常のヨーグルトより粘り気があり、どちらかというとムースに近い食感。作るのに時間と手間がかかるようですが、店長ががんばってくれました。 今回のデザート


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