大正6年(1917年)に冨山房から出た薄田泣菫『お伽噺とお伽唄』は、児童文学と詩のような散文がまじり合う、素朴でどこか夢のある絵ばなし集です。名越国三郎の繊細な挿絵とともに、当時の冨山房らしい丁寧な本づくりが感じられます。童話や童謡が盛んだった大正時代の空気の中で、泣菫は子どもに向けた言葉に詩人ならではの感性を注ぎ、擬古文風の語りや当て字・ふりがなを使って、音楽のように響く文体を生み出しました。

 

「お伽噺」と「お伽唄」を軸にした短い物語は、挿絵と響き合いながら、子どもだけでなく大人も楽しめる象徴的な世界をつくり出しています。またその中に生き方の教訓も盛り込んでおります。
原書の朱版、青版が交互に編集された組版をそのままに活かしました。

 

発行=富山房企畫

発売=冨山房インターナショナル

<目次>
お伽噺 三羽の子鷲/向日葵の種/三びき猿/狐と雉鳩/鹿の用意/猫の踊り/めんない千鳥/神様とお供の爺/虎の巡礼・・
など計100話

お伽唄 ほおじろ/猿の食い逃げ/三羽雀/つぶ/三びき猿/雉/時計と磁石/こさめ/驢馬と豚・・など計32歌

 


 

<著者紹介>
薄田 泣菫  すすきだ きゅうきん

明治10年、岡山県浅口郡連島村(現倉敷市)生まれの詩人・随筆家。本名・薄田淳介。
詩集「二十五絃」「白羊宮」で、上田敏らの絶賛をうけ、島崎藤村につづく時代の先駆的詩人として認められた。大阪毎日新聞社に入社後、連載随筆「茶話」が好評を博す。さらに新聞の学芸部長として、菊池寛、芥川龍之介を起用し連載小説に新鮮な局面をひらいた。記念碑が出生地の連島と津山市長法寺にある。昭和20年没。