作 黒沼ユリ子  絵 大西三朗
毎日使っているゆびには、どんな物語があるのでしょう?

親指は“のみつぶしゆび”、中指は“こころゆび”……ふだん何気なく使っている指には、それぞれ役割や名前の由来があります。

指使いのプロ、世界的ヴァイオリニストでもあるユリ子おばちゃんが、ぼく・わたしとお喋りしながら“ゆび”がもつ奥深い世界へと導きます。そこでは知る喜びだけでなく、思いやりや努力、そして平和の大切さも感じ取れることでしょう。

かつて笹塚小学校で自由な絵の楽しさを教えた大西先生と、才気煥発の少女ユリ子くんが70年の歳月を経て共作した“奇跡の絵本”です。


「おしゃべり絵本」の感想を頂きました!

中村 桂子さま (理学博士、JT生命誌研究館名誉館長)
素敵な絵本ですね。Facebookで予告を拝見し、どんな本になるのかしらと楽しみにしておりました。ゆび、字・・あれこれ想像していましたが、こんなに面白く、しかもさまざまなことを考えさせられる内容までは思い至りませんでした。素晴らしい!音楽だけでなく、絵でも素敵な先生に巡り合われたのですね。ユリ子さんには、何か人を惹きつける力がおありなのだと思います。お友達に紹介します。

工藤 吉郎さま (京都音楽教育の会)
絵本、それに別冊の文字表もふくめて隅々まで読みました。イメージをひっくりかえす絵本です。大拍手!!

K・M さま
とても広く、深く、温かな、素敵な絵本ですね。

M・Y さま
優しく且つ心に響く言葉の束と、恩師であられる人生の先人のほっこりする挿絵との絶妙な作品に、多くの子供達とその親達が感動できたら、その感動の輪が広がっていったらと願います。

M・H さま
親指=働き指、差し指=戦争指、中指=心指、平和指、 薬指=愛の指、小指=約束、人と人との信頼、文中からのイメージはこんなものでした。

松原 由美子さま (図書録音家)
今までの読み聞かせ絵本のイメージと違い、まず自分で読みたい気持ちにさせる、その気持ちをバネに字を覚え、どんどん読書が好きになる・・・・この発想がすばらしいですね。それに反戦のテーマが、小さな子でも理解できるように、絵とセットでとても分かりやすく説明されていると思いました。

北村 明也さま (松本の「市民タイムス」コラムニスト)
「ゆびのこと、しってる?」の誕生、心からお祝い申し上げます。ひらがな・カタカナ文字表付きのアイディアは子ども達への溢れる愛があってこそと敬服しています。その愛は、文章にもです やさしく やさしく へいわってたすけあうこころ・・・
練りに練った語りかけ、そして見事な立派な楽しい「絵」!
コロナに負けるもんか、とこの厳しい状況下で生まれた絵本に敬意を表します。

N・Y さま
一気に拝読しました。指のことは何も知りませんでした。戦争がしつれいってすごい事ですね。助け合う心が平和になる!!
本当に指からこんなに素晴らしい言葉と意味があるなんてすごい!10歳がテンサイも感動しました。
たくさんの気づきのご本をありがとうございました。

野崎 正俊さま (音楽評論家)
指についての本なのでヴァイオリンと関係があるのかと思いましたが、広く一般的な内容なのですね。ユリ子さんとイラストの大西さんと高齢作者のご活躍に感服しました。

加藤 珠子さま (元『婦人之友』編集部)
絵本は、とても充実した内容でしたのでびっくり致しました。

澤橋 淳さま (東京オペラシティー、プロデューサー)
81歳でこの行動力には頭が下がる思いです。作画の大西さんも92歳とは!大変な勇気をいただきました。

中井 良則さま (元  毎日新聞外信部長、成城大学教授)
「指使いのプロ」が、子どもの身近な指を一本、一本優しく話し、大西先生の絵とともに記憶に残る一冊です。ユリ子さんの反戦の願いが印象的でした。

本橋 哲也さま (英文学者、東京経済大学教授)
ユリ子さまの、言葉と音へのご信念が、絵になって表現されたようなご本ですね。ご出版を心よりお祝い申し上げます。「ゆび」のことを考えますと、かつての伊江島の阿波根昌鴻さんのお話を思い出します。平和への希求ということでは、阿波根さんも黒沼さまも深く共鳴されるところがございますね。


<作者・挿画/紹介>

黒沼ユリ子(くろぬま ゆりこ)
1940年、東京生まれ。ヴァイオリニスト。桐朋学園高校1年で日本音楽コンクール第1位。翌58年チェコに留学。プラハ音楽芸術アカデミー在学中にプラハ現代音楽演奏コンクール第1位。62年に同アカデミーを首席で卒業、メキシコに移住。世界各地で演奏を重ね、2014年帰国。千葉県御宿の「ヴァイオリンの家・日本メキシコ友好の家」を拠点に展示やコンサートなど多彩な活動を展開している。今回、初めての絵本に挑戦。

大西三朗(おおにし さぶろう)
1928年、北海道夕張生まれ。50年に渋谷区立笹塚小学校の図工科教師となるや、「児童画公募展」「学校劇コンクール」を指導して入選を重ねた。才知あふれる生徒だった黒沼ユリ子くんとの縁はそのときに始まる。副業にイラストを描きはじめ、68年独立。