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かつて日本が近代化に邁進していたころ、近代的な出版業と印刷業はまだ未発達であった中、冨山房インターナショナル印刷部門は内外出版として大正9年4月にその創立を見ました。どんなすばらしい文化も学問も、その伝達手段が不十分では十分な発展は難しかったはずです。

そのような中で内外出版は、京都帝国大学の諸教授をはじめ、京都所在の多数の出版社の要望に応えるべく、多くの人々の輿望を担ってスタートいたしました。

翌年には、京都市下京区西洞院通七条南の地に新工場を建設、その竣工を見て、本格的な操業を開始いたしました。

昭和2年には社名を内外出版印刷と改称。
昭和初期の出版業界において全国的に人々の注目をあびていたのは、内外出版印刷株式会社・更生閣・中外出版株式会社・文献書院・弘文堂書房の出版物といわれ五本の指の一つに数えられる存在でした。

また、印刷業においてもポイント活字の製造に着手、9ポイント活字の完成を皮切りに、12ポイント・8ポイント・6ポイントなど、新ポイント活字の整備に意を注ぎ、自動鋳造機による活字の大量鋳造、高性能活版印刷機の導入、工員の技術向上を図った結果、大部三千数百頁にわたる辞典類、各種教科書や特殊技術を要する美術書など、あらゆる印刷業分野にわたり優れた技術水準を誇りました。

昭和17年には東京、冨山房の坂本守正が社長に就任、翌年に内外印刷株式会社と改称。
このころわが国は戦時下であり、出版社をはじめ全国的に企業整備が行われまし。多くの企業が統廃合されることになり、弊社も印刷業専一となります。
また、当時の海軍に零式艦上戦闘機(ゼロ戦)二機を報国号として寄贈しています。

昭和35年、坂本起一社長に就任。

昭和57年、東京支店が設置される。
昭和58年には吉祥院新工場建設。昭和59年には坂本嘉廣社長に就任。昭和61年に内外ビル電算写植センターを新設。

平成18年、冨山房インターナショナルと統合、事業の効率化を目指す。

平成20年、社業の発展に伴い、坂本嘉廣が会長に、新たに坂本喜久子(喜杏)が代取締役社長に就任。

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