名文を味わう
 私は利根川の風光を愛して、たびたびあの川のほとりを旅した。河口近くには香取、鹿島の古い社があるし、古くから民謡に響いてゐる潮来(いたこ)の地もある。その大江の流、水国のさまは、私が曾(かつ)て遊んだ南支那の長江附近の鎮江や楊州あたりの風光が思ひ浮かべられて懐かしい。江の水に白帆が霞む春、まこものうら枯れた川隈など、詩情ゆたかに漂うてゐる。随(したが)つてこの利根の風光は、その地に多くの近世歌人を産んだ。伊能魚彦もその一人である。鈴木雅之もその一人である。そして今私が語らうとする神山魚貫も、実にこの利根のほとりに出た田園の歌人である。
 利根の下流に近い飯岡といふ土地――今は成田から佐原に行く間の久住(くずみ)の小停車場に近い村に、今から七八十年前に一農夫があつた。彼は貧しい農家の子として生まれたが、幼い頃、或算盤(そろばん)の先生から、百人一首とその他の古い歌どもを教へられた。
 その農夫の名は神山三左衛門といつた。素朴な、そして幼い彼の胸には、さういふ古い歌の優しい調(しらべ)が、たまらなく美しいものに響いた。彼は歌といふものを、じぶんのも詠んで見たいと考へずにはゐられなかつた。春は川べりの野から雲雀(ひばり)が舞ひのぼる。秋は葦(あし)が霜枯れて寂しい風の音が野辺を掠める。かういふ風情を見るにつけ聞くにつけて、彼はそのつくりかざらぬ自分の感じを、そのまゝに歌とせずにはゐられなかつた。しかし、極の田舎であるから、誰もその歌を直すものがない。でも三左衛門の歌を愛する心は、年の長けると一緒に強くなつて、殆ど歌はその生命であるかと思はれるまでになつた。
 或時彼が一心に田を耕してゐると、後から大声でどなりつけられた。驚いてふり返ると、
「お前はどこを耕してゐる。」
といふ。見れば、そこは隣の田である。歌を一心に考へてゐた彼は、いつしか畔を越えて、隣の田を耕してゐたのだ。また或夕方のこと、田の仕事をやめて、馬をひきながら家路をたどつてゐた。身体は一日の骨折に撓(たわ)むほど疲れてはゐるが、三左衛門の眼は美しい夕映の空を眺めて、足の進むのを知らなかつた。歌ができる。また歌ができる。はや家も近くなつた。と、その時、不意に背中をどんと打つものがある。あつと美しい歌の夢から醒めると、
「どうしたのだ。お前の馬が手綱から離れてゐたから、向ふの木に縛つて置いたぞ。」
と隣の男がいふ。見ればどうして切れたか、短い手綱の端が、彼の手からぶら下つてゐるばかりである。彼はこれほどまで歌の世界をたどつてゐたのであつた。
 かういふ風に三左衛門は歌を愛してゐたが、彼の父母は、でなくとも身体の弱いその子が、昼は一日を田畑の労働に暮して、夜はまた夜仕事をしながら、夜更けても歌を考へてゐるのを見て、身体のことも心配であり、近所隣の人が、「愚かなものよ。狂人よ。」といふ陰言も思の種となつて、或時強く彼に意見を加へて見た。
「お前は百姓の子である。田を耕すのがお前の仕事だ。さういふ歌とかいふものに凝つて、病気にでもなり、世の中のもの笑になつてくれるなよ。」
と、堅く止めるやうに言ひきかせた。この時、三左衛門は涙を流して、父母の心づかひとなる自分の不幸をわびながら、
「しかし、この事だけは御許し下さい。今自分が志したこの歌を捨てたならば、一層近所の人のもの笑となるでせう。家の業を捨てての歌三昧は愚かとは存じますが、仕事は必ずいたします故、夜更まで油を点すことだけは御許し下さい。」
と折入つて頼んだので、父母もその熱情に動かされて、その後は、夏の夜は父が蚊遣を焚いてやり、冬の夜はともすれば夜更に疲れて転寝(うたたね)に入つた彼の背に、母がそつと蒲団をかけてやることさへあつた。
 かくて歳月は利根の流よりも速く、彼ははや五十歳をも超えるに至つたが、その時、彼の家は長い年月の勤労に豊かとなり、彼自身の歌は自得した体によつて一家の風を成して、その近隣の村でも、町でも、彼の歌名――伊能魚彦の名を慕つて自らつけた神山魚貫の名を知らぬものはないやうになつた。その家には歌の門人が沢山に出入してゐた。
 そして安政元年六十八歳の時に、彼の歌集「苔清水」三巻は撰ばれて、立派な書物となつて、東都にまで文名を馳せた。その序文に、
「自分は農夫であつて、学問をしないから歌は至つて拙い。であるのにかゝる集を版にするのは、おほけないわざではあるが、これも亡父の霊に手向けて、その惠に答へたいがためである。そして世の常として、集の序文には作者の上を褒めたゝへたものが多いが、自分はたゞありのままを書くのである。」
といふやうな意味を述べて、私が話して来たやうな事がらを述べてゐる。この序を読むと、彼がいかに歌を愛し、いかに歌に身を献げたかといふことがしのばれて、懐かしさに堪へない。
 
―和歌百話による―
『國文』(女学校用・巻二・中篇)大正十四年十月、冨山房発行より
 
【佐佐木信綱(ささき のぶつな)】 明治5(1872)年-昭和38(1963)年。三重県生まれ。歌人、国文学者。20歳代から歌を発表。歌誌を創刊、短歌結社を主宰、数々の歌集を刊行、多くの歌人を育成するなど広く活躍。昭和12年に文化勲章受賞。正六位勲六等文学博士。
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